生存戦略模索blog

うつ病、発達障害から退職した元公務員が人生の再構築を模索するブログ

障害者は障害を武器にして生きませんかという提案

 こんにちは、umashikaです。

 

生きることを優先するためには開き直り、かつクレバーにならなければならない

 私は医学的に診断された発達障害者です。発達障害については、近年何かと話題にのぼることも多くなりました。これはもちろん、当事者や支援者、医療機関などが啓蒙活動や働きかけなどに尽力されたおかげだとも思うのですが、一方で当事者である私でさえ、医療関係者や製薬会社などがうつ病などに続く新しい食い扶持を確保しようと流行を作出しようと躍起になっている側面もあるのではないか、と思うこともあります。

 

発達障害の診断の曖昧さ

 発達障害の診断にあたり、WAISというIQテストを受信することが一般的ですが、その結果に加え、親など本人と幼少期から接してきた者の客観的な意見の聴取、さらに日常生活において支障が生じているかどうかなどを総合的に勘案し、診断が下されます。

 

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 私自信、発達障害は確かに存在しているという実感はあります。

   ただ上記のようなテストや問診のみによって診断が下されることになるので、ウィルス性の病気や怪我などのように、確かな根拠、裏付けがないまま"障害''と認定される側面があり、本当にこれは障害なのかどうか、そもそも発達障害というものが実際に存在しているのか、ということに疑問を感じることもあります。

 

 ただ、やはり実生活に著しい支障をきたしていなければ、診断されないので、発達障害と診断された方は、日常生活において大きな困難を抱えている方です。私のように、仕事において通常なら「これくらいのことは出来るだろう」と期待されたことが全く出来なかったり、また、それを改善しようとしても改善がされない結果、周りから仕事に対する態度が不誠実だ、馬鹿だ、ゴミだ、という評価を受け、信頼を失い自信を喪失してうつ病などの二次障害を生じてしまっていたりします。

日常生活に問題がなければ診断されない 

 発達障害の特性があったとしても、日常生活に支障を来していない方や、そもそも社会的に成功されている方は、認定されません。

 

 2003年に映画化もされ大ヒットした恋愛小説、『今、会いに行きます』の作者の市川拓司さんは、自信が典型的なアスペルガー症候群の特性を持つことを医師から指摘を受けた旨告白をしているが、彼は恋愛小説の旗手と呼ばれるくらい社会的に大成功を収めていますので、医師からは「診断書は書きませんよ。」と言われたといいます。

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  彼のように、たまたまその才能が世に知られる機会を得、社会的に成功している方は別ですが、病院に掛かり診断が下る人は、相当程度の確実さをもって日常生活に多大な困難を生じています。これは、発達障害の特性を持たない方からすれば、「誰でもみんな人間関係に悩んだり、仕事ができないことくらいあるよ!」と思われるかもしれませんが、全く違うレベルの次元で出来ないし、上手くいかないのです。

 これは当事者でないと理解し難いのも無理はないと思いますし、仮に私が発達障害者でなければ、発達障害者に対して「甘え」だと処断していたかもしれませんので、仕方がないことだとも思います。

 

声をあげよう、要求しよう、主張しよう

 しかし、発達障害者は常に生き辛さや日常生活に困難をきたしたまま、理解を得られず、支援を受けたくても受けられず、このままでよいのでしょうか。

 

 私は、どんな人でも、労働をしていなくても、納税をしていなくても、経済的な付加価値を生み出す生産活動をしていなくても、生きる権利があると思いますので、それが最優先で尊重されなければならないと考えます。

 

 もちろん、そのような問題がないのにも関わらず、社会保障を不正受給したいがために病気や傷害を装う人は別です。それは立派な詐欺罪であり犯罪なので論外ですが、必要な人は社会保障やその他社会資源を十分に活用すべきだと思います。

 

 ですから、国やその他納税者の庇護を受ける行為に対してそのことを恥じたりせず、堂々と申請の手続きをすれば良いと思います。日本はどうしても昔から文化人類学者のヴェネディクトが指摘したように、「恥の精神」が文化的に強く根付いているので、生活保護障害年金などの受給に対して後ろめたさを感じてしまう人が多い印象があります。そんなことはないので、「もう無理だ」と感じたら、一刻も早くお住まいの自治体の市役所に相談に行かれて下さい。もし一人で行くのが憚れるようであれば、NPOなどの支援機関や共産党議員に相談の上、一緒に申請に行けば良いと思います。

 

 申請をためらった結果、自殺や餓死などの結果を迎えることほどバカげたことはありません。どうか、生きてください。

 

お涙頂戴で良いじゃない。障害をビジネスにしようよ 。

 社会保障だけに限らず、どんどん自身が「障害者」であることを利用してビジネスにすれば良いと思います。

 これは別に悪い意味でなく、発達障害に関する本を執筆することもビジネスになりえますし、それはその本の内容に興味を示したお客さんが対価を払ってでも読みたいと思ったからビジネスとして成り立つわけです。

 

 また、障害についてブログやその他SNS、メディアを運営してどんどん情報発信をしても良いと思います。

 

 私は発達障害者なので、身体障害については当事者ではありませんが、同じ障害として広く捉えるならば、あの乙武氏が『五体不満足』たる書籍を出版し、大ヒットしたのも、彼が生まれつき手足が欠損しているという身体障害を持っていたからです。

 別に、彼は出版によって金儲けをしようとした意図はなかったと推測しますが、結果として本は大ヒットし、また障害者の生き方について世間に考えるキッカケを与え、彼自身にも莫大な印税が入ってきたことでしょう。

 

 そう、見方を変えれば、障害は武器になり得ます。

 

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 他にも、話すことが出来ない元No.1筆談ホステス斉藤里恵さんが東京都北区議会議員選挙に出馬したところ、圧倒的な票数を集めてトップ当選しました。彼女の子育てに関する政策の内容などが優れていていて、有権者に広く受け入れられたことももちろん否定はしませんが、仮に彼女が障害者でなく、単なる綺麗な女性だったとしたら、あそこまで票を伸ばすことが出来たでしょうか? 不快に思われる方がいれば申し訳ございません。

 

 このように、障害者であることにより、より同情を集めやすくなりますし、自分から障害について発信すると目立つし、人目につきやすくなります。ですから、やり方次第では障がいは金になるのです。

 

 お涙頂戴で良いと思います。使えるものは使っていきましょうよ。自分の力でお金を稼ぐということは全然悪いことではありません。また、たとえ障害者が一般就労に不向きだからといって、必ずA型就労、B型就労、障害者枠の仕事をしなければいけないという法律もありません。

 

 ビジネスが成立するということは、それ自体が消費者にとって、それだけの価値があることを意味します。

 

 障害を武器にすることは悪いことではありませんので、自分の特性、能力を社会にもっとアピールしていきませんか。

 

 本日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。