生存戦略模索blog

うつ病、発達障害から退職した元公務員が人生の再構築を模索するブログ

恋愛も市場メカニズム(需要と供給)で決まるという個人的で身勝手な見解

 おはようございます、umashikaです。

 

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 世の中のあらゆる事象は市場で決定される

  今日は珍しく恋愛の話を書いてみようと思います。と言っても私個人の恋愛話などは誰も興味がないので、一般的な話で、私が頭の中で考えている理論です。そこは最初に断っておきます。

 

市場メカニズム(需要と供給)の仕組みについて

 まず話の前提として、市場経済の仕組みについて簡単に説明します。

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 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33640?page=3

 

 中学・高校の政治経済などでよく出てくる図です。

 

 タテ軸は財(商品)の価格を、横軸は財(商品)の量を表しています。

 右下がりの曲線は需要曲線、右上がりの曲線は供給曲線といいます。そして、両者の交わるところで財(商品)の価格と取引量が決定されます。

 

 たとえば、図の上の部分に着目すると、価格が高いときは「需要<供給」となっており、大幅に供給が需要を上回っています。これは、「その商品にそんな高いお金出せないよ!」とお客さんが感じている状態です。

 

 じゃあ、売り手はどうするか。売れないから価格を下げるしかありません。

 

 そうすると、今度はお客さんの側は「お!値段下がったじゃん!これなら買っても良いかな。妥当な値段だな!」と感じる人が増えます。需要が増加するんですね。

 どこまで値段が下がり、どこまで需要が増えるか。二つの曲線の交わるポイントまでです。このポイントで価格と取引量が決定されます。

 

 逆に「需要>供給」の場合は値段が上がります。

 

 これを国レベルで見れば、社会にとって必要なモノは価値が高い(欲しい人が多い)ので、たくさん生産され、逆に必要ないモノは価値が低い(誰も欲しくない)ので生産されなくなり、何もしなくても勝手に社会にとって最も都合の良い生産活動が行われ、富が最大化するという理論です。

 神の見えざる手=レッセ・フィールともいい、アダム・スミスが提唱しました。

 

 

 もっとも、経済学は完全競争市場(「情報の非対称性(偏り)がないこと」、「人間が完全に合理的な意思決定をすること」など)を前提としており、現実の複雑な経済ではそんなことはありえないのですが、一応、「価値のあるモノは大金を払っても欲しく、価値の低いモノはゼロ円でも誰も欲しくない」ということは、感覚的にはお分かりいただけると思います。

 

 

労働者の価値も市場で決まる

 これも、以前からチョロッとブログでは書いてはいるけれども、労働者の価値も市場で決まります。当たり前ではありますが、人が持っていない特殊技能を持っていたり、高度な専門性を有している者は高い賃金を払ってでも企業にとっては欲しい人材なので、自ずと報酬も高くなります。

www.seizons.com

 たとえば、総合商社においてはスワヒリ語アラビア語などが話せれば英語や中国語が出来る人材よりも希少性があり欲しい人材でしょう。

 

 私は、最初の大学では中国語専攻でしたが、そこは中国語教育においては日本一であったため、入るときの難易度はスワヒリ語科とか、アラビア語科よりも高かった半面、就職においてはスワヒリ語アラビア語専攻の同期が総合商社の内定を複数とったりしていました。希少価値が全然違います。

 

 これからますます社会は情報化していくにもかかわらず、私は時間のたくさんあった学生時代にプログラミング技術などを習得しようともせず、既存の「古い体制側」について人生を過ごそうと思ったのは大間違いでした。若い方は反面教師にしていただければw

 

 あ、あくまでこれは時代の流れと私自身の特性を考慮した考察なので、まだまだ古い既得権益側での勝利パターンもしばらくは価値を保てるとは思います。椅子が少なくなるっていうだけで。ですから、そこで勝負したい方はそこで勝負をすれば良いと思います。

 これからは単純労働の価値は極限まで下がるので、何も学ばなかったり技能を習得しない者は容赦なく法律の許す最低限の賃金で働かざるを得なくなると想像します。

 

恋愛ももちろん市場が決める 

 ここまで長い前置きでした。つまり前提として、世の中のあらゆるものは市場(需要と供給)が決定するということが言いたかっただけですw

 

 それでは、恋愛、結婚についてはどうでしょうか。

 これも、市場原理が深く関係しています。

 

 さて、下記のような女性がいたとしますw

https://4meee.s3.amazonaws.com/files/article/618207/large_618207_2.jpg?24150610 

https://4meee.com/articles/view/618207

 仮に見た目が10点満点だとして、男性100人に採点してもらえば100人中99人は「10点」と採点するでしょう。

 他にも、人が異性を選ぶポイントを項目化すると「経済力(職業など含む)」「社会性(友人が多いか、信頼されているか)」「体が魅力的か」「性格」などが挙げられるかと思います。他にも学歴や身長、年齢(特に男性は女性を選ぶ際に重視するでしょう。なぜなら生殖の問題があるから)など色々あると思いますが、簡便化のため省きます。

 

 仮に、上の人物の「見た目」以外のステータスが全て「10点」だっとしたらどうでしょう。50点満点中の50点になりますよね。

 

 じゃあ、50点のポイントを持つ人が恋人に選ぶ妥当な相手とはどういう人でしょうか?

 いうまでもありませんねw

 

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 こういう見た目で、保有点50点の人じゃないでしょうか。

 この見た目で、医者、古くからの名家、友人が多い、性格最高みたいな。

 

 保有点が40点くらいの人が、石原さとみの見た目で50点の人を狙おうとしても無理なわけですよ。ちょっと届かないでしょうね。

 でも、40点くらいを保有する男性であれば、40点くらいの女性(例:「見た目が石原さとみとまでいかなくても、AKBや乃木坂の人気メンバーくらいで8点、学歴は慶應卒、職業・経済力はメガバンクくらい、完璧ではないにしろおっぱいも大きい、友人も結構多い、性格はまぁまぁ合うくらいのオール4タイプ)くらいが妥当に狙っていけるわけですね。

 

 こういうデータがあるそうです。

http://kon-c.com/img/nensyu.png

 

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 結婚適齢期にある40歳未満の未婚男性の年収だそうです。

 厳しい現実ですね。

 なんと、年収400万以上でも15%しかいないんですね!

 そりゃあ、若くてこれ以上の年収を稼ぐ優良物件は既に結婚しているわけですね。

 ですから未婚に限ると、男性全体の同年代の平均より下がるのは当然だと思います。

 一方で、

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http://medicaldoctor2011.blog.fc2.com/

 20代・30代の未婚女性が結婚相手に求める年収です。

 35歳~40歳の女性に限れば、15%の枠に80%以上が殺到しているわけですね。これじゃあ、ミスマッチが加速するばかりです。

 

 でも、ちょっと待ってください。

 別にこれは相手を選ぶステータスの「経済力」という一指標に過ぎません。

 例えば、自分の経済力が3点だっととしても他で補えば良いだけです。

 

 40点くらいの人と結婚したいなぁと思えば、その他の項目、たとえば「見た目」、「若さ」、「社会性」などで調整して40点にすれば良いわけです。

 それが無理なら、それは高望みというものでしょう。

 一番上の需要と供給の図でいえば、「供給>需要」の状態、超過供給が生じているわけですね。

 「私は40代でパート社員で収入も少ないけど、結婚したら専業主婦希望で、相手は絶対年収800万円以上じゃないと、無理!」なんて、こんなアンフェアな取引は通用しないです。

 逆の立場でいえば、

 「俺は40代のフリーターだけど、20代前半のガッキー似の処女じゃないと結婚したくない! ブスは無理!」

 っていう都合の良い話も世の中にはないわけです。原則として。

 

 あくまで、これは「結婚を望むなら」という前提でいいますが、得点が低い部分を他で補おうとする努力なしに、自分より保有ポイントの高い異性と結婚出来ることなんて、ほぼほぼありえないんですね。

 

 なぜなら、50点の男女は50点同士でくっつき、35点の男女も、誤差2ポイントくらいの範囲内でくっつくでしょうし、20点の者は20点の者とくっつくしかありません。

 

人は自己の社会的立ち位置を社会生活の中で認識させられるはずなのに...

http://livedoor.4.blogimg.jp/jin115/imgs/6/1/61a3a850.png

 

 私は、これは以前より不思議に思っていたのですが、なぜ自分の保有点を上げる努力をすることなしに、異性に対してババぁ、ブス、年収800万円以上じゃないとありえない、絶対専業主婦、などそういう発言をする人がいるのか不思議でなりません。

 

 もちろん、「憬れ」の対象として頭の中で妄想することは良いと思いますよ。それは自由です。

 石原さとみ可愛いなぁー♡」「ガンちゃんイケメンやなあ♡」とテレビの中のアイドルに対する感情のようなものですね。

 

 しかしながら、通常、人というのは自己が社会に置かれている状況というのは自ずとと認識させられるはずです。物心つけば大体自分が社会的にどの立場にいるかなんて自分が最もよく分かるはずです(もちろん、周りも分かります)。

 それなのに、なぜ現実世界で恥ずかしげもなくそのような発言に及ぶ人がいるのかが、イマイチ、理解できません。だって、恥ずかしくないですか?

 

 この記事を書いたのも、実際に私の周りにいるとある人物がしょっちゅうそういう発言をするので、少し辟易としたからです。気分を害された方がいればすみません。

 

でも、「まさか」はある!

 

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 こんな辛辣な記事を書いておきながらなんですが、でも「まさか」ってあると思うんですよ。かの小泉元首相が生んだ名言、好きなんです。

 

 「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そして''まさか''」

 

 そう、私はその「まさか」が起こったと思っています。

 

 私は保有ポイントが自己試算で15点なのですが、結婚した女性は35点くらいだと思うんですよ。妻バカかもしれませんが。

 

 そもそも、上でも述べたとおり、経済学の前提は誤っています。

 「人間が完全に合理的な判断が出来る」なんてありえません。

 むしろ、一時期流行った行動経済学の理論のように、経済は感情で動くものだと考えます。ですから、恋愛にもエラーみたいなのが起こったりするんですね、多分w

 

 今でも何で私が彼女と結婚できたのか不明です。しかも棚ぼた的に向こうからやってきていつの間にか結婚していました。こちらからは上記のような「点数を上げる努力」などしていなかったのにもかかわらずです。本当に奇跡ですね。

 

 ハッキリ言って、彼女がいなければ別にいつ死んでも良いと思っているので、私が何かまだこんだけ様々な問題を抱えていようとも、「まだ人生頑張ろう」と思うのも彼女のおかげです。じゃなければスイスの安楽死施設にでも行って懇願して安楽死させてもらった方が楽ですよw 橋田寿賀子と一緒に行こうかな。

 

 ですから、社会って意外とガバガバで適当に回っているんだなぁ、と思って生きていこうと思いますw その方が楽ですよね。

 

 貴重な休日に、クソみたいな戯言にお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 良い休日をお過ごしください。