生存戦略模索blog

うつ病、発達障害から退職した元公務員が人生の再構築を模索するブログ

嫌われ者の作法

 こんばんは、umashikaです。

 

嫌われ者はどうやって生きるべきか

栗原類さんの発達障害関係の著書を読んでみた 

 タイトルと栗原さんとは関係ないですが、栗原さんの目下大ヒット中の書籍を読んでみましたので、その所感などから。

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  モデルの栗原類さんは、ご自身が発達障害である旨を公表し、最近ではテレビや雑誌などのメディアでも発達障害についてご自身の経験や、障害との付き合い方などを赤裸々に語ってきました。そして、昨年10月には発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』KADOKAWAから出版し、Amazonでも福祉分野の書籍で1位を獲得するなど、ベストセラーとなっています。

  

 栗原さんは、発達障害のうちのADD(注意欠如障害・Attention Deficit Disorderとのことです。 私はADHD(注意欠如多動性障害・Attention Deficit Hyperactivity Disorderなのですが、両者の相違は''多動性・Hyperactivity’’が入っているかどうかの違いです。

 

アメリカの教育現場における発達障害児へのサポートはかなり進んでいる

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 栗原さんの場合、お母様がたまたま翻訳業のお仕事をされていて、海外での仕事も可能であること、将来栗原さんに日本での「帰国子女枠」で受験させることも視野に、小学校入学時にお二人で渡米したことが奏功したようでした。

 

 アメリカにおいては発達障害児に対する公教育現場でのサポートが大変手厚く、栗原さんのように発達障害が疑われる子の場合、親が子の発達障害について全く認識していなかったとしても、担任の側から「発達障害のサポートを受けるために必要な認定を受けるためのテストを受けた方が良い。」との提案がなされることも多いようです。

 

 その後、実際にテストが実施され、児童の日常の学校生活を観察するために教育委員会から専門家が派遣され、一定期間観察されるとともに、担任の他、当該児童に携わっている他の教師たちの査定表の提出がなされた上、さらに、耳鼻科医や眼科医などの専門医の診察により、「聴覚や視力などの理由で日常生活に支障をきたしているわけではない」旨の検査結果を受け、これらの結果を総合的に踏まえ、教育委員会で審査会に付されるとのことです。

 

 この、審査会で児童が「発達障害である」との認定がなされると、公立校に通う限りにおいて、公費で当該児童を高校卒業まで児童の特性に合わせて、教育委員会が責任を持ってサポートをする義務を負うとのことです。

 

 ちなみに、この審査会の参加者は、児童の保護者、担任、他の教師、精神科医、児童心理学者、他校の教師、教育委員会担当者など、様々な角度から客観的な意見が出され、検証を行い、最終的に認定がされるという流れだそうです。

 

 これに対して日本の発達障害児に対する公的支援の状況はどうでしょうか。最近こそメディアなどでも度々取り上げられ、民間レベルでNPOなどの支援機関も増えてきたように思いますが、公教育の場においては「障害児」と一括りにされ、児童一人一人の障害の違いや程度に配慮した教育がなされていないのが現状だと思います。

 

 おそらく、日本では親が子の発達障害について疑いを持ち、主体的に動かない限り、障害は見過ごされ、結果的に本人が大人になるまで「他の人と何かが違う」という違和感を抱き続け、苦しむことになります。

 

 親が疑いを持ち、医者に掛からせ、診断を受けて学校に報告し、初めて何かサポートが検討される、という現状になっているのではないでしょうか。

 

 これは、あくまで私の学校生活を振り返って感じた経験に基づくものであり、状況が著しく改善されているなど、私の認識に誤りがある場合は申し訳ございません。その場合は、ご指摘いただけると助かります。

 

 発達障害は何より早期の気付きと、医者のサポート及び周囲の理解が、学校生活など集団生活を送る上で欠かせない要素だと考えます。日本においても、教育現場で専門的な診断と認定が受けられ、継続的に個別的なサポートが受けられる体制を整えていただくことを、強く求めたいと思います。

 

 以下は、発達障害児に対する家庭・学校での扱いを皮肉った漫画ですw

 

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注意欠陥・多動性障害 - アンサイクロペディア

 

 書籍の中で、アメリカでは児童の発達障害が発覚すると、教師が繰り返し、全生徒に「✖✖は〇〇という特性を持っているから、こういうことが起こったり、ああいうことが起こったりしても、悪くないんだ。」ということを周囲に徹底周知するそうです。

 ですから、子どもは素直ですから、それを理解し発達障害児に対しても配慮して接するようになるということです。

 

 一方、なぜ日本では「障害」を何か触れてはいけない腫物のような扱いをし、スルーされるのでしょうか。「何か問題が起きてはいけない」という意識が強すぎるのではないでしょうか。それよりは、徹底的に他の児童に対して特性について理解を促す方が、よっぽど当該児童にとっては楽だと思うんですけどね...

  

私は嫌われている

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 私は、悪気はありませんが、気付いたら多くの人に嫌われていますw

 よって、私はそんな嫌われ者の私のことが嫌いですw

 勿論、私の人格がおかしいということもあるのでしょう。

 おそらく、多くの"普通”の人とは違う何か異質なものがあるのでしょう。

 

 しかし、私は決して周囲に対して喧嘩腰であったり、斜に構えていたりするわけではありません。出来たら、円滑な人間関係を築きたいと考えています。しかし、その方法が分からないのです。どのようにしたら、相手が受け入れてくれるのか。これが凄く難しいのです。

 人の表情を読んだり、言葉の裏に隠された真の意味が分からなかったりします。

 ですから、会話をしていて周囲がチグハグに感じることが多々あるようです。

 それは、会話をしながら一応、一生懸命状況の理解をして、出すべき言葉を考えているからだとも思うのですが。良い解決策がありません。

 

 まぁ、それはそれで嫌われることに対して鈍感になれば良いとも思うのですが、意識をしたところでなれるものでもありません。

 

自己防衛していくしかない

 私も、人格に優れ、周りから人が寄ってくるような人間であったならば、もっと楽な生き方が出来たはずです。なぜなら、人的資源が豊富であれば自分で出来ないことが多くても、周りがサポートしてくれるからです。

 

 しかし大変残念なことに、私にはそのような人的サポートが期待出来ないのでw、もう自分の能力を上げていくしかないと思うんです。あと、リスクをどんどんとっていく。他に良い方法が思いつきません。

 

 唐突ですが堀江貴文さんや橋本徹さんって、結構嫌われ者だと思うんですよ。もちろん、今までにないことをやろうとしたりとか、圧倒的なビジネスの才覚があり金を持っていることに対する妬みみたいな部分も多少あるとは思います。でも、それとは別になんか嫌われちゃうキャラクターじゃないですか? 感覚的に。私はむしろ好きなんですけどねw

 あと、サッカーは詳しくないですが、本田選手なんかもプレーや考え方も自己本位的な部分が強いように思います。海外ではバッシングも凄いと聞きます。

 

 しかしながら、彼らは圧倒的な結果を出してしまったので、究極的には誰も文句を言えないんですよね。勿論、言えなくもないですけど、圧倒的な結果の前ではそのような文句も、''負け犬の遠吠え''的な印象を与えてしまいます。

 彼らが、憐みの目で「で?」と言ってしまえば終わるわけですw

 

 ですから、嫌われ者が惨めな人生とオサラバするためには、自己防衛のため、自己の能力の向上しか道はないと思います。

 

 他に何か良い方法がある方は、どうか教えてください。

 嫌われ者から超人気者になった人とかいれば特に教えを請いたいですねw

 

 今日はいつにも増して欝々しい日記になってしまい、気分を害された方もいらっしゃるかもしれません。申し訳ございませんでした。

 

 本日もこんなクダラナイ戯言にお付き合い下さり、ありがとうございました。