生存戦略模索blog

うつ病、発達障害から退職した元公務員が人生の再構築を模索するブログ

強者と弱者

適者生存(自然選択)

 生物の個体のうち、最も環境に適した形質をもつ個体が生存の機会を保障される。

 こんばんは、umashikaです。

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 かつてダーウィンは『種の起源』の中で、生物の進化論を説明する際に有名な概念を提示しました。

 

 生物の世界では、「如何に環境に適応して、如何に子孫を残すか」が全てであり、個々の個体には自己が生存する為の本能が備わっています。例えば外敵に攻撃されて捕食される確立を下げるために、群れで行動したりしますし、また、小型哺乳類はその体温調整の為に、冬には数匹で固まって、体温を下げまいと努めます。

 

 そして、その激しい生存競争の中で敗れ、また、環境変化に適応できなかったものは容赦なく淘汰され、幾つもの種が姿を消すに至り、その過程は今も繰り返されています。

 

人間社会にもあてはまる自然選択、自然淘汰の理論

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 人間ももちろん生物ですから、個々が生き残るために日々生存競争を強いられています。ただし、人間は非常に高度な文明を発展させてので、ありがたいことに弱者も生存できるように様々な救済制度や利害調整によって多少修正されています。

 

 例えば、体が弱く非力であっても、お金を持っていたり、ルックスに優れていたり、コミュニケーション能力に秀でていたり、勉強が出来たりすれば、生存するのに有利になります。また、男性は自分の種を残すためには女性とセックスすることが必要ですが、その為にライバルの男性を殺害などしてしまったら、法によって裁かれます。

 

 このように、人間社会では上手い具合に自然界の競争原則が修正されているために、弱い者、劣等者にも生存の為の道が残されているのです。

 

私は弱者で劣等であるので人間で本当に良かった

 いくら人間が高度な文明を築いたとしても、人間も安全でいるために本来は群れます。学校では自然と友人を作り、会社でも気の合う同僚を見つけ、自然とそのグループに溶け込む。生物であるから当たり前です。世の中のあらゆる制度もマジョリティー用に整備・設定されているからです。現在の日本で''正当''であると認められた民主主義による意思決定システムによると、そのような結果になるのが当然だからです。

 

 しかし、私はそのような多くの人間が成長の過程で自然にこなしてきた人的コミュニケーションや社会的関係を形成することが苦手です。

 人との会話でも相手の真意が分からなかったり、社交辞令が理解出来なかったり、人と親しくなる際の最初の一言も、頭の中で何回も考え、試行錯誤します。

 ですから、私自身は意識はしていませんでしたが、今振り返ると、幼少期から母親に対してはこう、父親に対してはこう、先生に対してはこう、××君に対してはこう、と頭の中で各人に対する接し方にマニュアルを作って、それを実践していました。

 しかし社会に出ると相対する人の数も、処理しなければならない情報量も格段に増え、なかなかマニュアル対応は上手く機能しなくなりました。

 

 本来なら私のような発達障害者や、身体障害者、LGBTなどのマイノリティー、その他孤児や家庭環境が劣悪な者は自然選択の理論が純粋に適用される動物社会では瞬時に淘汰されます。

 

 語弊を恐れずに言えば、私みたいな人間は生物界では劣等種であり、それは認めざるを得ません。「優秀だから故に孤立する」なんてことは、ほぼほぼあり得ないのです。ただ、人は自分自身が劣っている、弱いことを認めることを嫌いますので、自分自身の中で合理化、正当化に努めるのです。

 

 考えてみると当然ですが、人間社会でも群れでいた方が絶対にイージーモードなのが分かります。学校でも仲の良い友人が多ければ多いほど、分からない課題を教え合ったり、ノートを融通出来たりしますし、社会人になっても仲の良い同僚が多ければ多いほど、仕事もお互いカバーして苦手分野を補完し合いながら、スムーズに進行させることが出来ます。また、プライベートでも対人関係が広いほど、ビジネス=お金を得るための良い情報や機会に恵まれるかもしれません。

 

 このように、人間の生存においても、「孤立すること」は間違った方法であり、その状況に陥っているという現実は、つまり劣等であるが故にそうならざるを得なかったわけです。

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 ですから、自分自身が人間に生まれたことは非常にラッキーであったと考えております。救済措置によって人並みではなくとも、30年も生き延びることができたのですから。これが自然界だとこうはいきませんでした。アリストテレスが言ったように、人間は社会的な生き物なのです。他社との関わり合いの中で上手くやらなければ上手く生きていく事はできないのです。

 

自分への戒め

 かつての自分は自分が劣っていることを認めたくありませんでしたし、いかに自分が優秀であるかを誇示しようとしていたと思います。人間は社会的な生き物であることを心得、如何に今がダメな状況であっても、社会を憎悪せず、自分からより生きやすい世界になるよう働きかけること、関わっていくことを放棄しないようにします。

 

 最後までお読み下さり、ありがとうございました。